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帯広カルテットを先頭に200人が昼の霞が関をデモ行進。圧倒的な注目を浴びた(10月25日)

 10月25日、東京地裁刑事第4部(高橋康明裁判長)で大坂正明さんの公判が始まりました。三百人以上が傍聴券を求めて早朝から列をなす中、大坂さんの無罪奪還を求め救援会の仲間も全国から全力で結集しました。大坂さんと同郷の友人たち=帯広カルテットを先頭に星野暁子さんら11人が傍聴しました。
 午前10時、ついに大坂さんが法廷に現れました。少し伸びた髪、凛としたたたずまい、静かな闘志を秘めた大坂さんの姿に、傍聴席から感動の拍手や大坂さんへの激励の言葉が溢れました。
 「私は無実・無罪」「沖縄闘争を闘った私を裁くことは不当」「この公判を反戦・反核・反改憲を訴える場として闘う」。大坂さんの堂々たる意見陳述は、裁判官、検察官を圧倒し、マスコミ各社の報道で「無罪を主張」の見出しが躍りました。
 大坂さんの意見陳述と一体で弁護団が冒頭陳述を行い、デタラメな政治弾圧を厳しく弾劾しました。
 この日集まった仲間は裁判所前でアピール行動を続け、昼休みには200人が霞が関をデモ行進。公安警察を圧倒し、公判初日は霞が関一帯を「大坂無実」の訴えが席巻しました。

証人尋問はじまる
 翌26日に第2回公判が、11月1日には第3回公判が開かれました。千葉時代の仲間や全国の救援会の仲間、婦人民主クラブ全国協議会の三浦正子さん、全学連の仲間が傍聴に入りました。
 検事側立証が始まり、証人として元警察官5人が出廷しました。この5人は新潟県警から派遣された機動隊の隊長・富澤健三、デモ隊と衝突して負傷した新潟県警の機動隊員3人、そして神山派出所近くでデモ隊偵察の任についていた神山派出所勤務の元警察官です。
 証人らは「デモ隊と対峙したことも覚えていない」「死亡した中村巡査の様子も記憶にない」などと「記憶にない」を連発しました。一方、弁護団の反対尋問でガス銃の危険性について追及されると「人に当たるなど考えたこともない」「死亡事故が起きたことなど聞いたこともない」と語気を強めて反論し、思わず傍聴席から「ウソつけ」と声が上がりました。裁判長が即座に退廷命令を発し、権力自身の余裕のなさを暴露しました。
 何も覚えていないから昔の調書を採用する、こんなデタラメな裁判は許さない! ますます闘いを強め、大坂さんを取り戻そう。傍聴に集まろう。

仲間との再会かちとる  公判を終え、大坂さんは「傍聴席の熱気を感じて、本当に支えられていることを実感した」と伝えてきました。「帯広カルテットはすぐに判った。坂野君は手を振ってくれた」と、嬉しそうに弁護士に語ったそうです。不屈に闘い続け、半世紀を経ての友との再会! 感動です。
 手紙で大坂さんは「51年以上前に会ったことがあるか、写真を何度か見て知った方だけ」しか名前が判らないながらも、傍聴席を一人ひとり確認し、団結を力にして「より攻勢的な裁判を闘おう」と提起しています。
 検事側立証を徹底的に粉砕し、大坂さんとともに勝利しよう!


大坂正明さんの意見陳述
 第一に、私は五つの罪名で起訴されていますが、すべての容疑についてその事実はありません。したがって無実であり無罪です。
 証拠とされているものは、当時の参加者の供述調書であり、それは取調べを行った官憲による創作文でしかありません。
 取調べが長時間であったり、大声で恫喝されたり、あるいは誘導によって、取調官が作ったストーリーを当事者自らが語ったという形にさせられたものなのです。
 そうしなければ取調べが終わらないのです。だから嘘を承知で指印を押しているということです。そうした実態は星野文昭さんや奥深山幸男さんの公判で供述者当人が証言していることから明らかです。
 調書に自ら指印を押しているから正しい内容だというのは詭弁です。
 このような供述調書には証拠としての価値はありません。

 第二に、この創作された供述調書をもとにして、星野文昭さんは、無期懲役の判決を受け、44年間の獄中闘争の末、杜撰な刑務所医療によって無念の死を強いられました。
 供述者本人がその調書の内容を否定したにもかかわらず、それを無視し、官憲が創作した調書のみを根拠として下した判決はあまりにも不当です。
 これは裁判官が「有罪ありき」として下した政治的判決に他なりません。このような不公正で理不尽な判決は許されるものではありません。

 第三に、1971年11月14日の闘争は沖縄返還協定批准に反対するものでした。11月10日に沖縄で打ち抜かれた全島ゼネストに連帯して闘われたのです。この返還協定の是非が全社会的に問われていたことを認識してもらいたいと思います。
 その協定の内容とは、沖縄県民が望んだ「核抜き・本土並み」とはかけ離れた、在日米軍基地の沖縄への集中と、自衛隊基地の新設だったのです。これでは平和の島にするのではなく、永久に基地の島となってしまうのです。
 その時私たちが指摘したことの正当性は、半世紀後の今日、沖縄の現実によって証明されています。今や沖縄には在日米軍基地の70%以上が集中し、ミサイル基地網が作られているのです。沖縄は今、再び戦争の最前線に立たされようとしています。そうした政府の攻撃に対して、辺野古では新基地建設に反対し、連日多くの県民が立ち上がっています。沖縄では「命こそ宝」と言われ、平和の島になることを望んで、どれほど金を積まれてもそれを拒否して、基地と闘う人々が多数存在しているのです。
  このような沖縄の現実と、これを生み出した返還協定を顧みるならば、返還協定に反対した私を裁くことは不当です。本来裁かれるべきは政府の沖縄政策であり、政府そのものだということを強く訴えます。

 第四に、公訴事実に関してはすでに時効が完成しているということです。奥深山幸男さんが病気から回復することが不可能だと分かっているにもかかわらず、将来的に回復困難であれば手続から解放すべきという最高裁判例を無視し、行うべき判断を回避し続けるという裁判所の不作為によって、この不正義はひきおこされました。奥深山さんは、起訴されてから亡くなるまで45年間、公判停止されてからでも36年間も被告席に縛り付けられたのでした。奥深山さんの主治医は一貫して回復困難な統合失調症と診断していたにもかかわらず、私の時効を止めたままにしておくために、私に対して刑罰権を行使するために、裁判所は奥深山さんに対する判断をあえて下さなかったのです。
 そのために私は46年間の長きにわたり、指名手配を受け続け、家族にも会えない生活を強いられました。そして、今、51年前の事件について裁かれるという、前代未聞の裁判の当事者という立場を強いられています。証拠は散逸し、防御権の行使も十分にできません。
 1994年に奥深山さんの免訴申立ての際に、奥深山さんについて裁判から解放していれば、全ての公訴事実に関して時効は成立していました。このような裁判所の不公正な不作為をここで正していただきたい。

 第五に、今日台湾をめぐり、日米と中国が対立を深め、挑発しあって一触即発といった危険な状況が生み出されています。もし戦争が開始されると、沖縄のミサイル基地などが真っ先に攻撃されます。そうなると沖縄は再び「捨て石」とされてしまいます。沖縄県民は不屈に反戦・反基地を闘い続けています。私が半世紀前に抱いた沖縄県民に応えようという気持ちは、今もまったく変わりません。だから沖縄県民の闘いに連帯して、私はこの公判を反戦・反核・反改憲を訴える場として闘います。           以上


弁護団の冒頭陳述(要旨)

異常な政治弾圧
 被告人は51年前の歴史的事件で起訴されている。客観的な証拠は何もない。事前にも事後にも面識のない4人のデモ参加者の「目撃」と称する50年前の「供述調書」だけが検察官の唯一の証拠だ。あまりにも常識から外れた異常な裁判である。
 本件当時、被告人は千葉工業大学に在籍する学生であった。当時、被告人は、日米安全保障条約反対、沖縄返還協定批准阻止、ベトナム戦争反対などの政治的主張を掲げて行動する学生活動家であった。

沖縄闘争は正義
 沖縄返還協定が沖縄県民の願いを裏切ったものであったことは、現在自民党政権によって進められている辺野古新基地建設の強行という事態にもはっきりと現れている。11月14日の闘争が必要かつ正しい意味を持つものであったことは歴史が証明している。弁護人らは事件の時代的背景や政治的意義をしっかりと主張する。沖縄県民の民意を無視する国会審議に対し、本土の大衆的な反対行動がとりわけ必要だった。被告人らのデモ行動も、沖縄の願いに応えたいと思う、やむにやまれぬ政治的表現行動だったのである。
 1971年は、沖縄返還協定に対する闘争と三里塚農地強制収用阻止闘争の年であり、街頭デモ行動に対する弾圧は激しく、救援連絡センターが扱った被逮捕者総数は約5千500人に上った。4~6月調印阻止の闘いでは、機動隊員はデモ参加者に傷害を負わせる目的で暴力を振るった。5月の闘争では、数百発の催涙ガス弾が撃ち込まれ、負傷者は約600人にのぼった。三里塚では、強制収用に抵抗する農民や支援の学生多数が重傷を負う事件も起きた。

警察の警備は違法
 警視庁は、11・14闘争に向けて全国から警察官を動員して厳戒体制をとることを決定した。東京都公安委員会は、14日に中核派系諸団体が予定していた宮下公園の集会と日比谷公園までのデモを不許可にし、集団的表現行動を全面的に禁圧した。11月14日は日曜日だったが、渋谷ではデパート6店が臨時休業し、商店街も店を閉める戒厳状態におかれていた。
 このような全面的な表現抑圧規制は憲法21条に違反する規制であり、許されない違法な弾圧である。被告人らのデモ行動に対し、機動隊が制止し襲いかかることは違法であり、警職法5条の要件を満たさない違法な職務執行にあたる。

供述調書はでっち上げ
 検察官は、被告人が11月12日に工学院大学に行って14日の準備を行い、その際に群馬の学生らと面識を持ったと主張するが、被告人は11月12日に工学院大学に行っていない。工学院大学に行く必然性も必要性もない。被告人は千葉の学生であって群馬の学生らと一切の面識はない。
 被告人は、11月14日に、小田急線代々木八幡駅から渋谷方向に向かって進んだ沖縄返還協定批准阻止を訴えるデモの隊列に参加した。しかし、検察官の主張する神山派出所及び梅澤精米店前での行為には一切関与していない。被告人に似た体型の人物が本件殴打現場にいなかったことは弁護側証人の供述から明らかである。
 凶器準備集合、公務執行妨害、傷害、現住建造物放火の各公訴事実について、いずれも存在しない。東京都公安委員会の違憲・違法な処分に基づき、警視庁が多数の警察官を動員し、集会やデモを禁圧することもまた違憲・違法なものであった。警察官らの一連の「制止」行為は、比例原則に反した違法なものであった。被告人は3名の警察官に熱傷などの傷害を負わせる実行行為を行っていない。また神山派出所に火炎びんを投げていない。共謀の事実もなく、共謀共同正犯は成立しない。
 被告人は、中村巡査を死亡させた行為に一切関与していない。また、この点につき、他の学生、労働者らと共謀した事実もない。ところが、この殴打現場で被告人が殴打に加わっていたと供述した者がいる。しかし、その供述に信用性がないことは、これからの証人尋問で完全に明らかになるであろう。また、周辺住民の中にも目撃者が多数存在する。殺人現場のデモ参加者の様子は機動隊員らも目撃した可能性がある。これらを全て検討しても、被告人だと思われる者がいたと供述する者は他に一切存在しないのである。被告人が、本件殺人行為に全く関係なかったことは明らかである。
 被告人は、11月15日に法政大学の学生集会に参加したかどうかの明らかな記憶はない。ただし、その集会において「我々の部隊が機動隊をせん滅した」などと演説した事実が存在しないことは明確である。
 被告人について供述した群馬の少年らの捜査段階の供述調書は、黙秘権の侵害、供述の強要、誤導により作成されたもので任意性、特信性も信用性もない。中津川検事の指揮のもとで作られた多数の調書は、特信性も信用性もない。
 写真面割りもラインナップ手続に違反しており、信用性がない。目撃者が被告人写真を選択したとの主張には手続的妥当性がなく、信用性がない。
 被告人は、本件各犯行に関与しておらず、かつ、他の者との共謀の事実も存在しないので完全に無実無罪である。

10・9大坂裁判闘争勝利!関西集会&デモ
大坂裁判と改憲・戦争阻止 闘争を一体でたたかおう!
星野文昭さんを取り戻す関西連絡会 吾郷春代

221101-02
山本志都弁護士が大坂裁判の経緯や争点を解説。皆が無実の確信深め勝利を誓った(エルおおさか)

 10月9日、大坂裁判闘争勝利! 関西集会をエルおおさかで行い、90名の結集で闘う決意を打ち固めました。
 連帯あいさつで全国水平同盟は「住宅闘争の時に星野さんがカンパを送ってくれた。星野さんの命を奪った権力犯罪を許さず、大坂裁判と一体で闘う」と決意を表明しました。
 続いて主催者あいさつを行いました。「第3次世界戦争・核戦争が始まっている中での大坂裁判は重要な闘い。安倍国葬粉砕実力闘争で多くの労働者人民と合流し、岸田の国葬に込めた戦争国家体制づくりを粉砕した。東京で行われた8・27大坂裁判勝利集会への大坂さんのメッセージにあるように、改憲・戦争阻止! 沖縄・南西諸島を中国侵略戦争の最前線基地にさせない闘いと一体で大坂裁判を闘おう。ウクライナ戦争と物価高に対する怒りのストライキが世界中で闘われている。反帝・反スタ世界革命を」と闘う方針を提起しました。

山本志都弁護士が講演
 集会のメインは大坂弁護団・山本志都弁護士の講演です。山本弁護士は「51年前の事件の裁判は前代未聞。大坂さんが事件に関与したことを示す証拠は皆無で、デモに参加した少年が強要されたウソの自白のみ。現場写真に大坂さんは写っていない。検察が大坂さんの着衣を特定しないデタラメや証拠の散逸。裁判員裁判からの除外の勝利。大坂さんの件は本来なら時効が成立。免訴を申し立てている」等、裁判の争点をわかりやすく教えてくれました。
 質問への回答も「大坂さんはデモ隊の後方に居り、現場を見ていない」等々詳しい解説に、皆大坂さんの無実を確信しました。
 決意表明で奈良・星野文昭さんをとり戻す会は、日教組奈良市に対する戦争のための組合潰し攻撃を粉砕して集会とデモを勝ち取ったと報告。高槻医療福祉労組の村山ゆうこ委員長は、沖縄闘争と共に星野闘争を組合で取り組んでいること、そして4月の高槻市議選に挑戦する決意を語りました。全学連は「安倍国葬を実力闘争で粉砕した。11・6労働者集会に結集を!」と熱く語り、それぞれ大坂裁判を共に闘う決意を示しました。
 労組交流センターの深町加代子代表がまとめを行い、「戦時下での大坂裁判の重要性を確認しよう。戦時弾圧に反撃して勝利を。11・6労働者集会に総結集しよう」と呼びかけました。
 集会後、扇町公園までデモを行い「大坂さんの無罪・奪還!戦争反対!」を訴えました。
221101-03
集会後、雨の中を元気にデモ行進。戦争反対、星野・大坂裁判勝利の訴えに市民が大注目(大阪市)



10月23日             
第44回 東拘包囲デモ 裁判勝利へ臨戦態勢

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 初公判を控えた10月23日、救援会は東京労組交流センターとともに第4回東拘包囲デモを闘いました。大坂さんとの団結を求め120人が集まりました。
 東拘デモも4回目、デモ隊は拘置所に隣接する老人ホームや公務員住宅ではマイクを控えめに、大坂さんに聞こえるポイントではボリュームを上げてシュプレヒコールをしました。
 「今日もよく聞こえるポイントで粘ってくれたようです。この日のデモをもって本当に『いよいよ』という気になります。まさに臨戦態勢に入るという気分です。気合を入れて出廷したいと思います」と大坂さんから返事が! 初公判に向け、臨戦態勢が整う大きなデモでした。

大坂正明さんの公訴棄却を求める
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